始まりの航海
海軍幹部養成学校。それは、海賊達の蔓延るこの世界で重要となった海軍の幹部生を育成するために作られた海軍きってのエリート学校である。
だが、そのエリート校に入るためには様々な規制があった。その中で最も重要なものはその者の血筋、家柄であった。貴族でなければ試験を受ける事も許されないほど厳しい。
たとえ貴族であっても国一番の難関と言われている試験をクリアするのは並大抵の事ではない。
それを人々はよく知っているから驚きの声を上げたのだ。
海軍幹部養成学校に12歳の子供が合格した、と。
「何かの冗談だろう、そんなもの」
そう吐き捨てた男に傍で聞いていた者達が口々に声を上げた。
「それが本当らしいんだ。父上が仰っていた」
「何でもそいつは大提督の一人息子らしいぞ」
「じゃぁただのコネだろ?親が海軍トップなんて羨ましい話だな」
そして、しばらくの沈黙が訪れた後男は静かに言った。
「・・コネで入った奴にこの学校の恐ろしさを思い知らせてやる」
にやりと冷酷に笑う彼に習うようにその場にいた男達は目を鋭く光らせた。
あまり知られてはいない海軍エリート校には影の部分があった。どんな人物でも等しく寮で生活させられるため目を付けられれば外部からは手の出しようが無い。
「坊ちゃんに世の中の厳しさってのを教えてやらないとね・・・後悔させてやる」
殺意すら覗かせた瞳にその男と親しい者達でさえ少し怯んだが、臆さず話しかけてくるものがいた。
「物騒な話をしていますね。僕も混ぜてくれませんか?」
声のした方を睨んで、男達はその顔を一層強張らせた。
灰色の髪を肩ほどまで伸ばして、緑がかった青い瞳は面白そうに細められ、にっこりと嫌味の無い笑顔を浮かべる少年。
「お前・・・ユーシス・・!!」
なぜここに、と出かかった言葉を寸前のところで飲み込んだ。ここは海軍幹部養成学校で彼もその学校の生徒なのだから、ここにいても何の不思議もないのだ。
男達は一瞬怯んだがすぐに体制を立て直す。彼らにとって先程話していた少年以上に目の前の年若い男が気に入らないのだ。
自分達より数段若いユーシスはまだ17歳ほどだと聞く。2年前入学した時から、彼は最年少入学者記録を塗り替えた者として話題に上った。家柄も最高で顔も愛想も良く完璧な少年だったが、そこが気に食わなくて仕方がない。
「何だ?お前が他人を気にするなんて珍しいじゃないか。・・自分の記録を塗り替えた相手はやっぱり気になるわけだ」
「ええ、そうですよ。後10年くらいは大丈夫だと思っていたのに残念です」
嫌味のはずが嫌味にならない。いつものパターンだ。何を言っても笑顔で返し、何をしても笑顔で切り抜けていく。それがユーシスと言う男だ。
「・・・それで何の用だよ。まさか本当に話に加わろうなんて思っているわけではないだろ」
「え〜?僕は本当にそのつもりなんですよ?疑うなんて酷いなぁ」
「・・・・・・」
こうやって話していると嫌でも実感させられる。やはりこいつには敵わないと。いつもニコニコしているがその笑顔が本物ではない事くらいは分かる。
「いつもいつも・・・何考えてるんだよ」
「さぁ・・・何でしょうねぇ・・」
クスクスと笑う姿は無邪気な少年そのものだが、妙にゾッとするものを感じるのは気のせいではない。
「さてと。もっと皆さんとお話したかったのですが僕はあなた方と違って忙しいのでこの辺で失礼します」
悪意の見えない嫌味に言い返そうとするが、その前にユーシスはヒラヒラと手を振ってその場を後にした。
残された者達は皆一様に渋い顔をしていたが、それに背を向けた少年は楽しくてたまらないと言う様に口の端を持ち上げた。
「12歳の海軍の王子様か・・・ふふふ・・面白くなりそうだね」
このつまらない日常から解放してくれるなら誰だって構わない。
盛大な音楽が会場を包み込み、それまで話をしていた者達も自然と口を噤んでいった。この学校の入学式はいつも華やかだ。何しろ入学者が少ないので3年に1回ほどしか催されていない上に入学者は1人と言う事など珍しくない。
だが今回の入学者は珍しく2人いた。その二人の入学者は海軍の幹部候補生としての薄い青色の軍服を身に纏い会場内に現われた。
ざわっ。
二人目が入って来た瞬間、会場にざわめきが起こる。
12歳の子供だとは聞いていたがどこかで疑っていた部分があった。だが、入って来た入学者は本当にまだ幼い少年であった。
しかも、見た事もない美しい少年であったため一層ざわめきは大きくなる。
サラサラの絹のような金髪と淡い軍服が海に光が差し込んだ光景を思わせるほど美しく、物憂げな瞳は少し伏せられており長い睫毛が影を落とす。日に当たった事がないのではと思うほど白い肌に色づいた唇はきゅっと結ばれていて、少年と言うよりは少女と言った方が相応しい。しかもかなりの美少女だ。
その美少女とは正反対に前を歩く男は30歳近い平凡そうな男だった。顔を緊張で強張らせる姿は情けないとも言える。
それとは正反対に少年の方は無表情でふてぶてしいくらい余裕だった。
驚く先輩の生徒達を冷ややかな眼差しで一瞥した後また興味なさそうに正面を向く。生徒達はたまったものではない。まだ年端もいかない少年に舐められるわけにはいかないのだ。
ギリリと歯を噛み締める男達を見て、ユーシスは呆れたように、けれど興味深そうに息を吐く。
――自分から敵を作って・・・まぁそう言うのは好きだけどね。
視線に気付いたのか少年、レイルがユーシスの方を見た。そして怪訝そうに眉を寄せる。
ユーシスは明らかに他の者達とは一線を画していた。彼らの中で一番若く笑顔でレイルを見ていた人物は他になかった。
その時レイルは妙な奴、くらいにしか思わず格別気にしたわけではなかった。彼にとってこの入学は大提督への道のりの始めに過ぎない。他のものに気をとられている暇など無いのだ。
ほんの一瞬だけの対面。ユーシスは少し興味を持っただけ。レイルにいたっては記憶にも残らないほどのものだった。
この時は二人ともこの後にユーシス、レイルと呼び合い年の差はあっても心が開ける存在になるとは思ってもいなかったはずだ。
「初めまして噂の海軍の王子様」
「・・・誰だ・・貴様・・」
これが二人の始まり。交わるはずの無かった二人の航海が重なり合った瞬間だった。
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